航空幕僚長「論文」事件と国家公務員の政治的活動
このウェブログでも取りあげた、田母神俊雄・前航空幕僚長の「論文」について、のぶちゅな氏が「猿払事件みたいに国家公務員の政治活動の禁止に当たらないのか」という趣旨の指摘をなさっていたので、考えてみました。
猿払事件[最判1974(S49).11.06]は、北海道猿払村にある鬼志別郵便局の局員(当時は国家公務員)が、組合活動の一環として社会党の選挙ポスターを掲出したことが国家公務員法102条、人事院規則14-7(5項3号、6項13号)違反に問われた刑事事件です(国家公務員法110条1項19号)。
(おまけ:鬼志別郵便局)
自衛隊員については、自衛隊法61条、自衛隊法施行令86条・87条が上記国家公務員法・人事院規則とほぼ同様の規制をしています(罰則につき自衛隊法119条1項1号)。
猿払事件では、社会党の選挙ポスターを掲出した行為が、人事院規則14-7・6項13号にいう「政治的目的を有する・・・・図画・・・・を・・・・掲示し」たことに該当し、国家公務員法102条1項にいう政治的行為にあたるとされたわけです。そして、「政治的目的」については、定義規定である人事院規則14-7・5項が「特定の政党その他の政治的団体を支持し又はこれに反対すること」をあげているので(3号)、比較的容易に認定できるかと思われます[勿論、該当するからといって、刑罰を以て制裁することが正当であるかは別問題です。猿払事件の第一審旭川地判1968(S43).03.25は、いわゆるLRAの基準を使って、懲戒処分(国家公務員法82条1項)というより制限的でない代替手段があるとして無罪判決をだしています]。
翻って今回の田母神氏の事件を考えると、この、「政治的目的」という点で少々難点があるのではと思われます。自衛隊法施行令86条は、人事院規則14-7・5項とほぼ同様の規定ぶりで「政治的目的」を定義しており、田母神氏の懸賞論文応募行為は、自衛隊法施行令86条5号の「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること。」になりそうにも思えるのですが、あくまでも「政治の方向に影響を与える意図」が必要ですので、「意図がない」と突っ張られると、難しいように思います。実際、今回はたまたま田母神氏が最優秀賞を獲得したがために政治問題化したわけですが、一般に、一民間企業の懸賞論文に応募することそのものが、政治の方向に影響を与えるものとは思えません。
ただ今回は、受賞が発表される前にアパ側から田母神氏に「最優秀賞で論文公開されるが問題ないか」という打診があり、田母神氏が問題ない旨答えたらしく(どこかでこの旨書かれた記事を見た気がするのですが、見つからない)、もしそうだとしたら、現役の航空幕僚長の論文である以上それなりに物議をかもすことは明らかであり、その時点で「政治の方向に影響を与える意図」、すなわち「政治的目的」を認定しうるかもしれません。そして、「政治的目的」が認定できるなら、今回の論文執筆は、自衛隊法施行令87条1項13号の「政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し、若しくは配布し、又は多数の人に対して朗読し、若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し、又は編集すること。」に該当するといえそうです。
結局、鍵は「政治的目的」を認定できるかどうかだと思われます。
猿払事件の他に今回の事例を巡って参考となる事案が、いわゆる反戦自衛官が懲戒免職になったのに対して、その処分の取消を求めた訴訟です[最判1995(H07).07.06]。
この事例は、現職の自衛官(一等陸士)が、制服着用の上で政治集会で自衛隊の沖縄派兵(当時は沖縄復帰直前)に反対する演説を氏名官職を明かした上で行うなどして懲戒免職処分を受けたというものですが、懲戒の根拠が、自衛隊法46条1項2号の「隊員たるにふさわしくない行為のあつた場合」になっています。正面から「政治的行為」で処分したわけではないんですね。
この事件の重要判例解説(小針司・岩手県立大学教授)によると、一般に自衛隊法61条の「政治的行為」条項の適用には当局は慎重であるとのことです。理由は不明ですが、上記した「政治的目的」の認定に困難さがあるということは考え得ることです(この点については、件の重要判例解説が松浦一夫・防衛大学校教授の『防衛法研究』所収論文をひっぱっているので、それを読んだらもう少し分かるかも知れません)。
んで、今回の田母神氏の「論文」問題ですが、自衛隊法の禁止する「政治的行為」に当たるかは措いたとしても、少なくとも「隊員たるにふさわしくない行為」であることは多くの人が承認するところであると思いますので(だからこそ空幕長を解任になったわけですし)、懲戒処分にしなかったというのは前記「反戦自衛官」事件と比較した場合において不均衡ということになるのではないか、と思います。幹部自衛官ですらない一隊員ですら、制服着て自衛隊に関する政策に反対する演説したら「自衛官の制服や官職を利用し」たとしてクビになってしまうのだから、制服組のトップである空将殿が、氏名階級職名を明かして制服着た写真までアパグループの冊子に載せて自らの意見を公にしちゃったんですから、むしろタチが悪いと言わざるを得ないでしょう。
ところで、今回問題になった懸賞論文、航空幕僚監部から全国の空自部隊に紹介があって、航空自衛隊員が78人も応募したそうですな。応募総数は230通ほどだったということですから、3人に一人は航空自衛隊員というぶったまげた話です。
政府は田母神氏個人の問題にしようと躍起ですが、何のことはない、航空自衛隊の組織としての体質が「真の近現代史観」とやらに親和的だったということですね。
「文民統制の揺らぎ露呈=自衛官論文問題」(ヤフーニュースより)
(2008.11.07追記)上記した松浦一夫教授の論文を参照したので、以下追記します。
松浦一夫・防衛大学校教授の「軍人(自衛官)の表現の自由をめぐる裁判例の日独比較考察」[『防衛法研究』14号(1990)所収]によると、自衛隊法61条、自衛隊法施行令86・87条の「政治的行為」条項の適用に当局が慎重なのは、同条項が一般職国家公務員に関する人事院規則14-7と同じ運用方針に基づいて限定的に解釈されているからである、とのことです。
人事院規則14-7については、1949年10月21日付け人事院事務総長発各庁宛通牒で「運用方針」というのが出ています(資料)。
そして、その方針の四(1)(五)には、次のような記載があります(傍線は引用者による)。
規則第五項は、法及び規則中における政治的目的の定義を行い、これを明らかにしたものである。
(中略)
(五)第五号関係 本号にいう「政治の方向に影響を与える意図」とは、日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則を変更しようとする意思をいう。「特定の政策」とは、政治の方向に影響を与える程度のものであることを要する。最低賃金制確立、産葉社会化等の政策を主張し、若しくはこれに反対する場合又は各政党のよつて立つイデオロギーを主張し若しくはこれらに反対する場合或は特定の法案又は予算案を支持し又はこれに反対する場合の如きも、日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則を変更しようとするものでない限り、本号には該当しない。
また、方針の四(2)(一三)には、次のような記載があります(傍線は引用者による)。
第六項は、法第百二条第一項の規定により禁止又は制限される政治的行為を定めたものである。
(中略)
(十三)第十三号関係 「形象」とは、彫刻、塑像、模型、人形、面等をいう。職員が政治的目的をもつ文書、図画等を著作し又は編集した場合、それがこれらの「もの」を「発行し回覧に供し、掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させる」ために行つたものでない限り、本号にいう政治的行為には含まれない。なお、本号の行為は、行為者の政治的目的のためにする意思の有無を問わず、行為の目的物が、政治的目的を有するものであれば足りる。
この運用方針に従うのであれば、本件の田母神氏の論文執筆は、アパの論文募集、あるいは刊行物たる『アップルタウン』が、「日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則を変更しようとする意思」に基づいていなければ、「政治的行為」とならない、ということになります。
この点、猿払事件ですとか、最近あった厚労省職員が「しんぶん赤旗」を配布して有罪になった事件とかが「政治的行為」として処罰されていることとの対比で考えると首肯しがたいようにも思えるのですが、国家公務員法、あるいは自衛隊法上の「政治的行為」は、憲法の保障する表現活動に対して刑罰を以て制裁を加えることが予定されているものであるので、本来制限的に解釈されるべきでしょう。その観点からは、間違っているのは猿払事件とかの結論の方であって、田母神氏の事件ですら「政治的行為」にならないのに、一介の郵便局員がポスター貼ったくらいで何が「政治的行為」やねん、ということにしておきましょう。
次に、松浦氏の論文では、自衛隊法61条の「政治的行為」と、同法46条1項2号の「隊員たるにふさわしくない行為」の関係について、上記反戦自衛官事件の第一審で、国側は原告側の求釈明に対して、「政治的行為の制限等には該当しない場合であっても中立公正を失うものとして国民から非難を受けるなど自衛隊の存立あるいは隊務の遂行に支障を及ぼすような行為は、服務の本旨に照らして『ふさわしくない行為』である」と説明している旨紹介されています。
また、自衛隊法53条、施行規則39条の「服務の宣誓」には、「政治的活動に関与せず」というくだりがあるそうですが、これは自衛隊法61条の「政治的行為」より広義であり、法律・政令に触れなくても、「政治的活動」への「関与」にあたる場合には服務規律違反になるという見解が紹介されています。
これらを併せて考えると、本件で田母神氏を懲戒にすることは、防衛大学校の教授の考えからしても、十分あり得る選択だったということが確認できると思います。
(参考)一般の服務の宣誓(自衛隊法施行規則39条)
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。