論文の神様
毎年今頃は、母校の大学院で、修士最終学年の学生が学位論文の執筆に呻吟する時期です。〆切が1月の上旬なので、クリスマスも正月もない、という状況になります。今年も、例によって後輩達が苦しんでいるようです。
そんな後輩達にエールを送るために、私から、「論文の神様」というものの存在についてお聞かせしましょう。
本当に一生懸命、論文を執筆していると、神様が降臨してくる瞬間に巡り会えます。何か、憑かれたように、上手く書けなかった部分がすらすら書けるようになる、という瞬間です。
私も、12月のある日の深夜、誰も残っていない大学のPCルームで神が降臨し、外が明るくなるまでひたすらに打ち込みまくったという記憶があります。
「神様」という表現を使いましたが、別にどこかに神様がいて、それが降臨してくるというわけではないのです。寝ても覚めても、論文のことを考えている、別のことをしていても、論文のことを頭のどこかが考えている、という生活を続けていると、いつの間にか、無意識のうちに、思考の回路が繋がって、「あぁっ、そういうことか」と、目から鱗が落ちる瞬間が来る、という感じです。その意味で、神は、実は自分の中にいる、ということになります。
ただ、その神に出会うためには、論文に呻吟して呻吟して、呻吟しまくる必要があります。
後輩諸君にあっては、とにかく、論文執筆に苦しみ抜かれることを希望します。諸君らの内なる神を呼び覚ますために。
コメント
私も論文の神様によって、修論を完成させることができました。
論文の神様は、あなたのなかに、あなたと共に、確かに存在するのです。
修論卒論で苦しんでいる方、論文の神様の存在を信じて、とにかく頑張ってください。
投稿者: のぶちゅな | 2005年11月 5日 23:56
ありがとうございます。弱気になっていたので本当に心にしみました。修論は孤独な戦いなので人にもらう言葉がすごく貴重で励みになります。自分を追い詰めて神様を待ちます!
投稿者: YH | 2005年11月 6日 00:32
>のぶちゅな氏
やはり、いますよね。マスター持っている人は
大抵、表現こそ違え、「神様」の存在を認める。
>YHさん
前提として、「自分を追い詰め」るというのが
あるので、きばってください。
焦らず、急いで、逃げるな!
投稿者: kumamine | 2005年11月 6日 17:48